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6/21

「ら抜きの殺意」という芝居を観てきた。
物語は「見れる」「食べれる」などの「ら抜き」をする間違った日本語を使う世代と、間違った日本語を毛嫌いする男とのコメディ。

その劇中に諺の話が出てきたが・・・
恥ずかしながら、今日はじめて知ったことがあった。

「犬も歩けば棒に当たる」ってどういう意味だかご存知だろうか?
あたしはずっと「出歩いたために幸運に出会う」んだと思っていた。
でも、元々の意味は’犬が出歩けば棒でぶたれる’ことから「でしゃばって災難に合う」ことだそうだ!
劇中では’幸運に出会う’派は「日本語を知らない!」と怒られていたが、後半で今は両方の意味があるんだということで、堂々と辞書を振りかざして反撃に出ていた。
私も今、辞書を見たら、両方載ってる!
記憶違いだろうか?学校では、’幸運に出会う’という意味で習った気がするが・・・。

またもう一つ、これは大人になってから知ったことだが・・・
「情けは人のためならず」という諺の本当の意味。
今までは、その意味をこう思い込んでいた。
「情けをかけることは結局その人にためにならないから、一時のことで情けをかけるな」
でも正しい意味は・・・
「情けを施していれば必ずその報いが来る」
え?!つまり、’だから人にどんどん情けをかけなさい’という意味・・・全く今まで思っていたのと逆。
私の周りの友人に聞いたところ、ほとんどが、「情けをかけるな」という意味だと思っていたという。

正しい日本語。
それがどこにあるのか。
それは日本人が今まで育んできた文化の歴史でもあるし、また、その時代時代の生ものでもある。
諺で言えば前者のように使う需要や浸透度に合わせて、意味が増えていくものもあるし、後者のように違う意味で使っている人が多くても、その意味を変えないものもある。
美しさというものは歴史とともにその時代によっても価値観が変わるはず。
だが生き物として進化を遂げながら、日本語の持つ独特の美しさは失って欲しくない。

休憩時間ロビーに行くと、若い子が「敬語のところ、どこが間違っているのか自体、意味分かんない!」など言ってるし、年配の方は「若い子の台詞のところは街中で聞くような言葉で、なんのことか分からないね。」という会話・・・。
私は幸運にも両方の意味がとてもよく分かった世代。
これからの日本語の進化を手助けする世代になるのであろう。

コギャル言葉に眉をひそめている自分は決してもう若者ではないと思っていたが、諺でこんなに思い違いをしているとは・・・。
進化途中人間として、私も世間の流行言葉ではなく、自分に一番合う、自分だけの言葉でしゃべられるように心がけよう。

日本語を使う仕事をしている身として、心が引き締まる思いがした。

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