水は答えを知っている。
水は美しい言葉や音楽を聴くと綺麗な結晶を作るそうだ。
逆に汚い言葉では結晶はぐちゃぐちゃに壊れてしまう。
なるほど、だから花に話しかければ美しい花を咲かせ、果実に優しく声かければ甘い実がなる。
理にかなってるというものだ。
ある芝居の稽古の時、一人の女優が言った。
「人間の体内もほとんどが水分で出来ている。だから人間も褒められたら体中が喜ぶし、怒鳴られればよどんでくるんだよ。」
でもまてよ。
じゃぁ、笑顔の優しい言葉で「ばかやろう。」といった場合はどうなるのか?
心から「かわいいね」と言う気持ちで「ばかやろう」と言ったら、水はきっと美しい結晶を作るに違いない。
だって、「ありがとう」でも「サンキュー」でも「ダンケ」でも「メルシー」でも「シェーシェ」でもきっと綺麗な結晶になるはずだから、言葉を理解してるとは思いがたい。
言葉から発せられる何か波動が水に違った形の結晶を作らせているのだろう。
そう思った。
ところが!
サンマーク出版から出ている「水は答えを知っている」という本がある。
今回の旅でその存在を知った。
いろいろな水の結晶が載っているのだが・・・・。
早速その本を読んでみると、驚愕の事実が!!!!
なんとまぁ、私が思っていた以上に奥が深い。
その本によれば、なんと言葉だけではないらしい。
音楽は・・・まぁ、理解できる。
その他、文字でも風景写真でも水は反応するそうだ。
本当に!?と思える結晶が載っている。
音楽も千差万別。
例えば、チャイコフスキーは虹色の結晶が出来る。
モーツァルトは綺麗な結晶。
プレスリーの「ハートブレイクホテル」はハートが2つに割れたような結晶。
ヘビメタに関しては・・・どろどろに溶けたような結晶。
またいろいろな言語で言葉を投げかけたときの結晶の違い。
ま、ココまではまだいい、よく分かる。
問題は次からだ。
紙にさまざまな言葉を書く。
それを水に見せる。
すると、それで水は反応し結晶を作る。
つまり「きれい」という文字と「きたない」という文字では結晶が全く違うのだ。
「きれい」と「ビューティフル」は同じ。
水が言葉を理解するのか、はたまた書いた人の書いたときの気持ちを水が読み取るのか?
そして極めつけ!
電磁波の近くにおいてある水は綺麗な結晶は出来ない、それは分かる。
しかし、同じ電磁波を発するTVでも、「水にいいTV番組を見せた」という結晶があった。
いいTV番組とは・・・???誰が決めたのだろうか?
どういう番組なのか、そっちにまず興味がいったが、それはさておき、結晶を見ると、うわ!美しい結晶。
水もTVを見ているということか・・・。
でも、水に具体的にどんなTV番組を見せればいいのだろうか?
そこまでは残念ながら書いていなかった。
興味がある方は、ぜひこの本をご購入あれ。
私が一番心に残っているのは、「無視をした」という水の結晶。
寂しげに形を作る元気もないような結晶になっていた。
命あるものに限らず、無視をして放っておかれるのが一番悲しいのだ。。
古来の人はそのことをよく知っていたと思う。
私は無宗教だが、どちらかと言えば教祖がいる宗教よりも、自然界全てに神が宿るという考えだ。
だからギリシャ神話など幼いころから大好きだった。
太陽には太陽の神が、木には木の神が、酒の神、知の神、美の神、月の神、戦いの神・・・・。
日本の神話も(もちろん天皇神話ではあるが)、それぞれに神様がいて興味深い。
そうやって、全てのものに感謝していたのだろう。
そういえば、私は昔から何にもで名前を付ける癖がある。
うちの観葉植物は「ハルオさん」だし、自転車は「ひまわり号」、旅中手放せない吸入器は「マルちゃん」。
しかし、この本を読んで、話しかける熱がもっと強くなってしまった。
水に対してだけではなく、椅子にも、電柱にも「ありがとう」「かわいい」。
このままではちょっと変な人になってしまう・・・。
でも案外、電車の中でブツブツ言ってる人は、全てのものに感謝の意を表している人かもしれない。
みなさんも、ちょっと周りにあるものに話しかけてみては?
すれば、結晶が綺麗になるだけではなく、なんとなく心も明るくなる。
最初は、ちょっと照れくさいけどね。