劇団の大先輩、矢野宣さんが9月17日にお亡くなりになった。
82歳だった。
知らせを聞いて、しばらく、何もできず・・・、すぐ書くことができなかった。
宣さんは私にとっては特別な先輩。
舞台をご一緒したのは「村岡伊平治伝」。
・・・でも、それよりももっと前、
つながりは研究生のころのことだ。
きっかけがなんだったかは、
今はもうはるかかなたの記憶。
しかし、宣さんが私にかけてくれた最初の言葉は「お!後輩!」だった。
宣さんは日芸の演劇学科卒、
私は日芸の映画学科を中退したばかり。
私が入所すつ数年前まで、俳優座の研究生は桐朋学園の演劇科を出ていないと受験できない規定があり、日芸出身者はいなかった。
そのため、同学出身の私のことをとてもかわいがってくれた。
「おまえは映画学科だけどな。でも、ま、後輩だ!」
タップダンスも一緒に習った。
知り合いの会社のバイトも紹介してくれた。
そして、飲めない私を馴染みの居酒屋さんに連れて行き、俳優座の歴史から、昔の先輩方のこと、新劇の成り立ちまで、後から後から途切れることなく話してくれた。
15年前、「村岡〜」にキャスティングされたとき、こっそり私に「しお子はヒロインだな。やったな。」
耳元で嬉しそうに囁いてくれた笑顔が忘れられない。そして「一緒に旅に行けるな!」と地方公演を楽しみにしてくれていた。
素敵な俳優さんだった。
なにより宣さんには
ハートがあった。
パッションがあった。
尊敬する先輩・・・。
今年に入ってからの総会でお会いしたとき・・・、
休憩時間、久しぶりにお顔をみて声をかけた私に、宣さんは手を握りながら「がんばってるな〜、聖子は。うん。いいぞ。」とかすれた声でおっしゃってくれた。その手は思いのほか強い力で、私は嬉しくなったのをおぼえている。
・・・それが、宣さんとのお別れになった。
今日、奥さまの阿部百合子さんとお話しした。
「宣はあなたが若いころ、本当にあなたのことを心配していましたよ。同期で一人だけ舞台に配役されていないって・・・。でも、その後は、見事に花開いたって・・・とても喜んでいました。あなたのことはいつも気になっていたみたいです。」
受話器を持つ手が震え、涙が込み上げてきた。
大好きな宣さん。
本当にありがとうございました。
たくさんたくさん、
ありがとうございました。
いつまでも、宣さんは私の特別な先輩です。
安からに・・・。
合掌。