先月、東京区内で初めて、市民参加型の東京マラソンが開催されたのは記憶に新しいだろう。
私も参加をした・・・ランナーではなく、カメラマンとして・・・。
NYで毎日のようにセントラルパークをジョギングし、すっかり走るという事が毎日に日課になっていた私。
そんな中、マラソンをこよなく愛する人たちと話す機会も増え、そこからまた交流が広がった。
今回の参加のきっかけは、実は日本にいながらNYの友人に頼まれたボランティアだった。
「両足義足の僕の友人が東京マラソンに挑戦する。カメラマンを探しているが、人が足りないんだ。Seiko、手伝ってくれないか?」
これがNYの都市の離れた大切な友人から届いたメールだった。
このメールがきっかけで、私は今年、第一回目の東京マラソンでとても素晴らしい経験をしたのだ。
両足義足の島袋さんのビデオカメラマンとして当日は朝8:30から皇居前から撮影をスタート。
冷たい雨の中、とにかく島袋さんを見落とさないか、この3万人のランナーの中見分けられるか、緊張しながら2時間待った。ひたすら待った。
雨が手に当たり、ボタンを押す手もかじかんでくる。
スタートしてから10分ほどで最初のランナーが前を駆け抜ける。そしてその後、ダンゴ状態の市民ランナーが走り抜けていった。
あまりの人数に目が回りそうな状態。
10:30ごろだっただろうか、島袋さんが来た!
雨に打たれながら、でもとても元気そうに、前を向いてしっかり走っている。
必死でカメラを構える。通り過ぎる。小さくなる・・・。
あっという間の出来事・・・。
その後先回りして8ポイントで撮影をしていった。
島袋さんは、明治座を過ぎた東日本橋辺りから、歩道を走ることを余儀なくされた。各関門で解除をする時間が決められているためだ。
でも決して彼は諦めない。
そして島袋さんを囲うように、サポートするボランティアの面々も一緒に走る。
市立船橋の学生たちが「ファイト!ファイト!」と大きな掛け声をかけながら、東京の街を一歩一歩踏みしめていく。
その集団はドンドン大きくなり、難関の橋の上では大人数となって島袋さんを囲んでいた。
雨も上がり、背中に夕日を浴びながら走る島袋さんは、各場所で迎えるたびに大きくなっていくようだった。
さぞかし激痛に見舞われていたことだと思う。
さぞかし辛かっただろう。
でも・・・さぞかし、嬉しく幸せな瞬間がたくさんあっただろう・・・。
7時間50分。
正式タイムは出ていない。しかし、誰もいないゴールのアーチを島袋さんは自分の足でくぐった。
集まったボランティアの面々は60人近かったという。
私は一人で孤独にビデオを撮っている気持ちでいた。しかしゴールに近づくにつれ、同じ気持ちで島袋さんを待つメンバーが増えてくる。
それぞれが、表には出ていないが彼を応援していた面々。
ゴールをくぐった後の島袋さんの満面の優しい笑顔。
私は決して忘れないだろう・・・。
レース後、
アメリカから参加した大好きな友人が完走おめでとうパーティーをしたので参加した。
そこには、初めてフルマラソンを走った女性もいた。
彼女が言った。
「途中、本当に苦しかったけど・・・。でも折り返して走っていると両足義足の人がいて・・・。
私も頑張ろうって本当に思った」
島袋さんの信条。
「夢を諦めない」
自分の足と姿でそれを語る島袋さんの姿は勇気と感動を与え続けるにちがいない。
参加できてよかった。ありがとう。