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January 2003

1/22

やってしまった!
気をつけていたのに・・・習慣って恐ろしい・・・。

先日から仕事のため大阪に滞在している。
45日間という長期滞在になるため、空いた時間はまずは近場を散策したり、地下鉄に乗って出かけたり・・・。

そこでやってしまったのだ。

東京はエスカレータでのルールが、右が急ぐ人、左が立ち止まる人。
つまり右側を空けることがなんとなく決まっている。
駅やデパートなどの一部ではアナウンスが流れたりもする。
「お急ぎの方のために右側を空けてください」と・・・。

しかし大阪は真逆。
つまり急ぐ人は左を歩く。
東京でもその情報は知っており、大阪出身の知人がまだ慣れず右側に立ち止まってるのを注意したりしていた。

ところが!

先日、地下鉄に乗った際、エスカレーターで考え事をしながら立ち止まってしまった。
ほとんど無意識に・・・。

大阪人、さすが大阪人!
ほとんどの人が立ち止まらない、みんな歩きまくる。
つまり私の前には立ち止まってる人が誰もいなかったのだ。

そして後ろから来る人たちがみんな私の顔を覗き込んで横を通り過ぎてゆく。
怪訝そうな顔で・・・。
なんとなくおかしな空気を察した私が、ふと振り向くと・・・。

うわー、恥ずかしい。
私の次の人からはみんなきれいに右側に立ち止まっている。
そして私側に列からは人々がズンズン上がってくる!
その光景たるや・・・思い出したくもない!
みんなが私に向かって突進してくるその様は、かなり恐ろしかった。

予備知識もあったし、絶対間違えないぞ~と思っていたからちょっぴりショックな出来事だった。
いまや、エスカレーターでは一瞬考え込んでしまう。
「え~と、東京は右を空ける、ということは、大阪で急ぐときは左!」
「ううう、いつもはどっちに立ってるかな・・・えーと右?左?そしてココではその逆・・・ううう」
まったくパニック状態!

とにかく体で無意識に覚ええている習慣は、そうそうなおらないということ。
きっと大阪ルールに慣れてきたころに東京に戻ることになるのだろう。
・・・ちょっとため息・・・。

 

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1/18

昨日、電車で中学生くらいの女の子2人がテストの話をしていた。
そうそう、この時期は学年末テストの前に学力テストも行われたりする時期。
大学模試かもしれない。

「問い10のあの腰かがめて何か配ってた人、あれってルターだよね?」
「うそ、マジ~?頭いいやん。うちなんも書かんかった~」
2人がやっていたテスト後の答え合わせは昔と何も変わらない。

今日からセンター試験が始まった。
自分の大学受験の年を思い出す・・・といっても、私は私大のみの受験だったのでセンター試験は受けなかったが・・・
自分の人生の初めての選択、それが大学受験だった気がする。
行きたい大学があり、その大学以外は受けなかった。
担任の先生も私の意志が強かったせいか、すべり止めを受けろ、と言われたことは一度もなかった。

受験生のころは本当に早くこの1年が終わらないか、と思い続けていたが、終わってみるとあの1年は切なく懐かしい。
私は他の受験生のようにがむしゃらに勉強をしていたわけではなかった。

進学塾に行ってなかった為、ラジオ講座を毎朝聞いていたが、それも居眠りばかり。
朝、起きることは起きるのだが、そのまま机に突っ伏して寝ていることもしばしば。

やっていたことといえば・・・
高校時代進学の選抜クラスに入っていた。
そのため補習が朝、そして放課後、毎日行われた。
科目によっては授業が進むこともあった。

またもう一つかならずやっていたこと。
それは好きな先生を決めて、自分で課した課題を毎日その先生の元に持っていくこと。
例えば現国なら天声人語。
英語なら構文の問題集。
その先生に特別採点してもらうとかではない。
ただ「毎日提出させてください。」とお願いした。
快く引き受けてくれた各教科の先生方は、一言添えて毎日の提出を返してくれた。

そのときの気持ちは、こちらからお願いしたことを途中でやめるのはみっともなさすぎる、という気持ちからだったかもしれないし、好きな先生の元に毎朝提出しに行くのが楽しかったからかもしれない。
なんでもいい、何か一つ自分自身と約束をすること。
そして私のように意志が弱いなと自分で自覚するなら、誰かにそれを支えてもらうこと。

でも告白しよう。
登校時、眠気に勝てず江戸川を越えて東京まで電車の中で寝入っていたこともある・・・。
そんなときは、もう目を開けることも出来ず、終点まで眠りそのまま県内の高校まで引き返した。
ロス時間2時間・・・。
普通の受験生ならもったいない!と勉強でもしていただろう。

あまり神経質にならず、あまり周りの「こうあるべき」というマニュアルに従わず、のびのびと受験生であることを謳歌する。
それが実は受験を乗り切る秘訣なのかもしれない。

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1/12

深作欣二監督永眠。

今朝から嫌な予感ばかりしていた。
壁にかけてある「クロックタワー3」の記念写真が夜中にはがれたらしく、床に裏向けに落ちていた。
そして朝から「クロックタワー」のメンバーたちや今「BRⅡ(バトルロワイヤルⅡ)」に出演中の知人から連絡が入っていた。
私は稽古中で電話に気づかなかったのだが、休憩時間確認をすると、最後のメールに深作監督訃報の知らせが入っていた。

とにかく急いで、いろいろな人に確認の電話を入れた。
「クロックタワー3」のメンバーと話したときは涙が浮かんで止まらなくなってしまった。
私はたった一度のお仕事で、常連の役者さんたちのように何本も関わったわけではないが、その1本だけでも私にとっては何もかもが新鮮で、映画界の巨匠と言われる監督の鬼気迫る演出を間近で感じる毎日だった。
深作監督からの影響は大きい。
そして、深作監督を愛して信頼してきた役者さんたちとの出会いも私にとって大きなものだったのだ。

思えば、私は深作監督が手がけた最後の作品に関わることが出来たのは本当に幸せなことだった。
千田是也先生のときもそうだった、私の初舞台が千田先生の遺作。
両巨頭には共通点がたくさんある。
演出するときの迫力、何かが乗り移ったかのようなオーラ、そして穏やかで澄んだグレーの瞳。

今日一日、稽古を瞬きもせずにらみながら見つめた。
そうしなければ、自分の中で何かが崩れそうな気がしたから・・・。

深作監督、安らかに御休みください。
合掌。

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1/11

新年、みなさんはどのように幕を開けたのだろうか?

私は毎年必ず家族と過ごす。
ほとんど実家に帰ることができない私にとって、お正月だけは帰らなければ、と毎年決めている。

我が家ではお祝い膳を家族で囲み新年を迎えるが・・・

まず、お福茶というコンブの結んだものと小梅を入れたお茶を1杯飲む。
家紋の入ったいくつか重なった塗り器の蓋をお皿代わりにして、おせち料理をいただく。
そして雑煮は、祖母が住んでいたころには3種類用意される。
 ①京都風-白味噌、丸もち=祖母、父
 ②博多風-おすまし、丸もち、ブリ=母、私
 ③東京風-おすまし、角もち、鶏肉=弟
いや~、母は大変だったろうと思う。

なんでも端折って簡単にするもが近年の流行。
昔ながらの行事を忠実にやるのは本当に面倒くさい。
でも、この面倒なことをやらなくなるから、どんどん文化は廃れていくのかもしれない。

・・・なんて一番家族の中で面倒くさがりの私は、いつも母に戒められている。
今年はこの「一手間」を惜しまずにやっていこう・・・かな。

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