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December 2002

12/29

私には神様がついている・・・。
といっても宗教ではない。

「片付けの神様」

元来、すごく綺麗好きというわけではなく、かといって今話題の「片付けられない女たち」というわけでもない。
綺麗に掃除されている部屋にいる方が好きだし、でも、適度にズボラ。
掃除だって、掃除機はしょっちゅうかけるけど、それも丸くかけたり・・・拭き掃除は気が向いたときだけ。

でも、それになりにいつも小奇麗な部屋ではある・・・・一時期を除いては・・・。

仕事が続いてたり、遅い帰宅が続くと掃除が段々出来なくなる。
ほとんどが、それでも、2,3日中には片付けるのだが、ある一定線を越えると「もう、どうにでもなれ!」という気持ちになる。

そうなったら、もう心を決めるしかない。
そして私に神様が降りてくるその瞬間を穏やかに待つ・・・。

帰ったら、着ていたものを脱ぎ捨て、持っているバッグをイスの上に置く、机の上には手紙や本やら山積み。
洗濯は・・・これは面倒くさがらず毎日やるが、炊事もしなくなる・・・。

でも慌てない慌てない。
神様が降りてくるから・・・。

あるとき、パチンと何かが自分の中で弾ける。
さぁ、始めよう!

やっと神様が降りてくる。
片付けの神様。
そうなったら、あとは早い。
今までとは別人のような機敏な動きで片付けにかかる。
神様が降りてきてるから、苦にならない、それどころか片付けるのが楽しくてたまらない。
挙句の果ては、然程汚れていない浴槽の掃除、玄関の掃除、普段はしない、カーテンの洗濯までしてみる。
幸せな瞬間。

気が乗らないときに、イヤイヤしても結局は中途半端になってしまう。
だったら、静かに神様が降りてくるのを待つだけ・・・。

他のことも同じだろう。
うまくいかないときは焦っても仕方がない。
もがく前に心穏やかに、自分のパワーがみなぎるのを待つことも必要だと思う。

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12/24

みなさんはいくつくらいまで信じていたのだろうか?
私はかなり大きくなるまでサンタさんを信じていた。
おそらく小学5年くらいまで・・・。

よくまぁ、そこまで両親は私を放っておいたと思う。
普通はどこかでバラシそうだが・・・。
毎年母が私に聞く。
「今年は何をサンタさんに頼むの?」

いつだったか、今から考えると本当におかしなことがあった。

12月のある日学校から帰ると母がいない。
一人で留守番していると、電話が鳴った。
母からだった。

「今ね、ママサンタさんと会ってるんだけど、あんた今年は何を頼むの?!」

・・・きっとデパートにプレゼントを買いに出たのだろう。
そこで私の欲しいものを聞いていなかったことに気づいた、今ではそう私は読んでいる。
しかし当時は素直に電話に向かって頼みたいものを母に告げた。
そんなことより、母がサンタさんに会うという事の方が私を興奮させた。

そんな私が、サンタさんの本当の正体を知ることになったのは、祖母の容赦ない一言だった。

もう他界した京都の祖母は賢く冷静な祖母だった。
決して厳しくはなかったが、ほわほわ夢見るタイプではなかったと思う。
晩年は、可愛いおばあちゃんになっていたが・・・。

その祖母に、小学5年の私が嬉しそうに話したのを覚えている。
「今年はね~、○○をサンタさんに頼んだんだ~!」
すると祖母は、びっくりした顔で私に言った。

「あんたまだそんなこと信じてるんかいな。アホらしい。アレはお父さんお母さんやで。」

!!!
本当にびっくりした。
でも負けず嫌いだった私は、あまりびっくりしたのを表に出さず、「そうなんだ・・・」とだけ言った記憶がある。

そう考えると全てが符合する。
そうか・・・あぁ、そうだったんだ・・・なるほど・・・。
逆に大きかったせいか、ショックというわけではなく、静かに納得していた私がいた。

その年まで信じさせてくれた両親に感謝すると同時に、両親にとっても子供をいくつまでだませるかは楽しいことだったろうな、と思う。

さて、今宵はクリスマスイブ。
どんな奇跡が待っているのだろうか?

 

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12/18

愛車、ポーがかなり走らなくなっていた。
・・・真っ赤な自転車のことなんだが・・・。

ペダルも重く、平地をこぐのもいっぱいいっぱい。

何か故障かと思い、修理に出そうかと思ったが、その前に念のため、タイヤに空気を入れてみた。

すると!
新車?!と思うくらいスイスイ進む。

何でも面倒くさがらず、ちょっと手入れをすべし。
そうすれば、こんなに快適に、こんなに使いやすく、こんなに長持ちするんだから・・・。

今は坂道もゴキゲンでチャリンコライフを楽しんでいる。

 

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12/9

先日、実家で探し物をしていた。

家を出るときに残していったダンボール。
その中をあさっていると・・・出るわ出るわ、必要不必要、見当がつかないもの。
母が「その中、整理していってよ。」と言うので、必要ないものは捨てる心構えで中のものを出していた。

その中に、自分でも忘れていたノートが出てきた。

中学の同級生としていた交換日記。
いや、交換小説・・・。

あ~、恥ずかしい。
読み返すと顔から火が出る・・・。

そもそも、クラスが違う友人だったので交換日記から始まった。毎日部活で顔を合わせているため、交換日記を辞めたのか、それとも交換日記だけでは飽き足らず小説まで書き始めたのか・・・。
発端は覚えていないが。

最初のころは純粋な続きものの長編小説を少しずつ書いていた。
でも、そこは中学生。
あまりにも稚拙でお互いつまらなかったんだと思う。
いつのころからか、自分の周りの友人が出る実名入りの小説になっていった。

そうなると妄想が止まらない!

誓って言うが、始めたのは彼女からだった。
彼女の書く小説の主人公は、私=田野聖子。
その小説の中に、私が当時片想いしていた男の子も登場するようになっていき、私は毎日彼女の書く小説がめちゃくちゃ待ち遠しくなっていった。
そのお返しに、私も彼女が主役の小説を書くことになり、その中に何気に彼女が片想いしている男の子も登場したりして・・・。
ただ私の方は遅筆で(笑)なかなか進まず、いつも彼女からせっつかれていた記憶もあり・・・。

どんな本や漫画を読むよりもドキドキしていたかもしれない。

同じ部活の女の子たちも登場するもんだから、周りから「私も登場させて」と言われたり・・・。
小説の中で、ケンカしたこと謝ったり・・・悩みを打ち明けたり・・・。

最も恥ずかしい記憶と恥ずかしい現物だったが、それも、可愛い思い出ということで・・・。
私はゆっくりとそのノートをダンボールの中に戻していった。

結局捨てたものって、ほとんどなかったかもしれない。

ちなみに交換小説をしていた彼女とその周りの友人とは、今でも仲良しである。

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12/1

ついに師走。
暦の上でも冬の到来!

趣味・特技を聞かれるといつも悩むが、結局答えるのは「天気予想」

といっても、本格的なものではない。
元々はTVの天気予報を見るのが大好きで、各局天気予報の梯子をしていた。
アレだけみていたのに、いまだに理解できるのは「西高東低」くらいだろうか・・・。

私の天気予想は、風。

風を読むのが、すごく好き。
空気感、香り、温度を全身で感じて勝手な天気予報をする。

温度で一番敏感なのは耳。
秋の日差しが強い日でも体感温度が低い日は、誰よりも早く耳が痛くなる。
単に耳が弱いだけかもしれないが・・・。
ただ、分かるのは気温ではなく体感温度!

風の中に色々な思い出が隠されている。

春の新学期、真新しい教科書を開くとき。
真夏の炎天下の下での全校集会。
秋の夕暮れの公園、ブランコに揺られているとき。
冬の朝、坂道を自転車で疾走するとき。

おそらく様々な記憶から、私の自己流天気予想は成立しているのだろう。
だからこそ、記憶を呼び起こしてくれる風を感じて、天気を予想するのが好きなのかも知れない。

・・・予想の確立?
それは・・・あまり聞かないで欲しい・・・。
明日はいい天気!気分爽快!・・・と、しておこう。
得てして自己流天気予想は、自分に都合のいい予想になるものである。

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