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2007

11/29

私は本当に周りの人に恵まれている。

いつも実感をし、いつも感謝をし、そしていつも自分もそうでありたいと思い続けているが、
私自身が周りの人たちから受けている恩恵に比べれば、まだまだ全然足りない。

初めて行った一夜限りの一人芝居。
才能あふれる二人の演奏家との即興での芝居。
全てが初めてづくしの中、3人の意識と呼吸が一つになった瞬間。
本当に心地よかった。私の芝居を見ながら静かに滑るように入るピアノ、突然度胸良く鳴る琴。
思ってもいない感情がその瞬間に沸き起こる。3人の合作。
すべての音に耳を澄ませ、集中をし・・・このチャンスを与えてくれた演奏家2人に心から感謝。
そして音響、照明を手伝ってくれた2人の男性にも感謝。

ひょんなことから引き受けた初監督映画。自信がなくて最初は断って、逃げて・・・でも結局引き受けた映画創り。
このド素人監督の私を支えて共に作品を作り上げて言ってくれた優秀で優しいスタッフ、魅力的なキャストの仲間たちに心から感謝。
みんなを信頼し、尊敬していたからこそ、映画の神様が降りてきた!
何よりも楽しい現場。そして愛があふれる作品にが出来上がった。。。。。
編集作業、音楽作業。。。紆余曲折あったが、これが映画、こうやっていろんな人の想いをまとめて一つの作品にしていく作業が何よりも貴重な体験。
この仕事、受けて良かった。みんなと出会えて本当に良かった。
心から、ありがとう。

そして1年半ぶりのNY。
みんなの温かいサポートに感謝。
たくさんの友人に囲まれて、そして私が新しい一歩を踏み出そうとするとたくさんの手が差し伸べられて・・・。
新しいNYでの自分がまた生まれそうで、今からワクワクしている。

役者も共同作業だが、時に自分との孤独な戦いを強いられる。
しかし、作品全体を創るとき、また何かを一から始めるとき、基本となるのは人間関係。

私は本当にラッキー!運がいい!世界最強の運の持ち主!

だって、私の周りには本当に素敵な人たちがたくさんいるから・・・。
そしてその人たちが惜しみない愛情を注いでくれるから・・・。
私がその人たちにお返しできることはほんのちっぽけなこと。
だからこそ、誰かが、困ってたり頼ってきたら、私が受けたようなたくさんの愛を返してあげたい。

そうやって順番に優しさをめぐらせれば、みんながラッキーになるはず・・・。

たくさんの愛と感謝を胸に抱き、怒涛の2007年がもうすぐ終わる。
また来年は新たに面白いことがたくさんできそうな予感・・・
乞うご期待・・・というところかな。

 

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8/18

今朝4時ごろ、東京でも体感できる地震がまた起こった。
震度3。震源地は千葉東方沖。
ここ数日続けざまに地震が起こっている。

朝4時の段階では熟睡していた私だが、地震の瞬間とび起きて、まずは大地震が起こってもすぐに飛びだせるようにと・・・Tシャツの下にショートパンツをしっかりとはいて・・・そしてそのままコテッと寝た。
どこか天災に対する危機感が薄い私・・・。自分達の身の上に大災害が起こるとは想像ができないから・・・。

しかし新潟の人たちは、復興したと思ったらまたこの恐怖に見舞われている・・・と、一日での体感できる地震を何度か経験しながらそう思った。

他人ごとではない。

新潟には今、弟夫婦が住んでいる。
結婚後、慣れない地に引っ越した彼らを待ち受けたいたものは、豪雨、地震、豪雪・・・そしてまた今回の地震。
そのたびに逞しく乗り切っていく。
被害に遭った方々、本当に辛いことであろう。
でもそれを乗り越えまた新たな生活を築きあげていく被災地の皆さんの姿を見るたびに、人間って強い、と感動をしてしまう。
その姿は、私たちにもまた勇気を与えてくれる。

連続して起こっている千葉での地震。
私たちも新潟に皆さんの姿を心に留め、大災害に備えたほうがよさそうだ。
少なくとも寝るときには、きちんと下着を身に着け、外に出ても恥ずかしくない格好をしよう・・・。

実は弟夫妻には新たな命が誕生する。
来年春・・・。
その小さな命を生命のバトンとして、また新たな生活が始まるんだろうな。
雪深い大地が春芽吹くころ・・・・がんばれ!新潟。

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8/15

2年ぶりにインターナショナルサマーキャンプMSTERIOに、ドラマディレクターとして参加をした。
那須の大自然の中、子供たち50人近くと大人30人近くが入れ替わり立ち替わり・・・。各業界のプロフェッショナルに囲まれて子供たちは様々な体験をする。

このキャンプはNYで知り合った大好きな友人が主催するもの。
彼女とは同じアパートで、その出会いは不思議なものであった。
私が日本へ出した年賀状があて名不明でNYまで返って来た。その葉書が間違ってなぜか彼女の部屋のポストへ・・・・。
その葉書を見た彼女は、ドアマンに託さず自分で私の部屋のドアの下からメッセージを添えて配達。
マンハッタンで住んでいたアパートには部屋のドアにはポストボックスはない。つまりやり取りをするときは映画のようにお互い、ドアの下の隙間からカードを差し込む方法だ。
そんなおしゃれなお互いのやり取りの後で、ホームパーティーに誘っていただき・・・そして彼女は私の人生になくてはならない人となった。

今でも私は思う。
わたしがNYに行った意味は素敵な人々に出会うためだったんじゃないかって・・・。
様々な経験をし、刺激があったNY。でも一番の財産は人。本当に素敵な人たちとの出会いで私の人生は広がった。

今回のインタナショナルキャンプ。

小学校一年生から小学校6年生の子供たちには、演劇の楽しさを伝えることをメインにした。
数回しかなかったクラスなので、子供たちから「今度はいつドラマのクラスをやるの~?」と聞いてくるので本当にうれしかった。
日本語が苦手な男の子が一生懸命みんなの名前を発音したり、いつもふざけている子供たちが集中している姿は美しかった。

そして2年前と同様、中高校生には5日間の稽古で25分の芝居を創るというクラスをもった。
彼らは今年も奇跡を見せてくれた。
今年のパフォーマンスは掛け合いが多く、この時間内で仕上げるのは無謀だと思われるほどだった。
しかし自分たちでセリフを言い合ったり、自主練習をしたり・・・・
役者志望でもないこともたちが助け合い、協力し合って迎えた本番。
子供たちの姿は、その空間を支配し、そして誰もが大きな感動に包まれた。

毎日みんなに書いていた手紙。一人一人の顔と声を思い浮かべながら、向かっている時間は何よりも幸せな時間。

エリック、しゅん、ダイア、たくや、ゆうき、もえ、まやこ、ゆか、りお、あいり、
しゅうたろう、あんな、あかね、マキ、ようこ、たろう、なおちゃん、とぶ、なっちゃん、みなみ

今年の素晴らしき俳優たちに拍手!
たくさんの感動をありがとう、みんな。

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5/10

俳優の北村和夫さんが亡くなった。享年80歳。

他劇団の役者さんで大ベテランの北村さん。私が共演したのは田村正和さん主演の「乾いて候」の公演。再演・再々演と3度北村さんの吉宗候と共に江戸城の板の上に立たせてもらった。
次にどんなセリフが出てくるか分らない緊張感の中(笑)、舞台は進んでいたように覚えている。

忘れられないエピソードがある。

あれは再々演の新橋演舞場での舞台でのこと。
午後4:40頃、東京を大きな地震が襲った。近年の東京にしては驚くほどの規模。
そしてその一瞬の瞬間、私はまさに舞台の上、しかも暗転転換中で暗闇のなかスタンバイをしている状態だった。

地震が起きた瞬間、舞台セットは揺れ、照明からは埃や紙吹雪など落ちてきて、客席からは悲鳴とざわめき・・・
場内パニックになった状態だった。
私の横に座っていた女優も大声で叫び、私は舞台上で固まりながら「さてどうするんだろう…」と考えていた。これは明るくなって続けるのだろうか、それともこのまま中断するのだろうか…

幸い、舞台が徐々に明るくなり次の場が始まる頃には、地震も治まりかけていた…しかし客席は依然として騒然としたまま。これではいくら私たちが芝居をしても、舞台に集中してはもらえない。
すると、北村さんは何を思ったのか、大きな声で「静まれ~、静まれ~。皆の者、静まれ~~~」と手を客席にだし、騒ぎを制したのだ。
それにより、客席は落ち着きを取り戻し、そして芝居は何事もなく続けられた。

さすが、ベテラン!何があっても動じないその姿!

私は袖に引っ込んだとき北村さんに「北村さんのおかげでみんな落ち着いて芝居ができました。ありがとうございます。」と言ったところ、北村さんは本当にうれしそうにこうおっしゃった。

「実はね、文学座の芝居で北海道での公演の際、大地震が起こったんだ。
僕は真っ先に舞台から逃げ出したんだけど、でも杉村さんだけは、何事もないように地震の中でも芝居を続けていたんだよ。
僕はね、心に誓ったんだ。”今度地震があったら、絶対逃げず、何事もないように芝居を続けるぞ”ってね。」

舞台上で地震を経験する役者はそう多くない。きっと北村さんはこの地震の瞬間、「いまだ!!!」と思ったに違いない。
そして自信をもって、客席と舞台上を鎮めたのだ

いつもお茶目で愛すべき大先輩だった北村さん。安らかにお眠りください。

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3/2

先月、東京区内で初めて、市民参加型の東京マラソンが開催されたのは記憶に新しいだろう。
私も参加をした・・・ランナーではなく、カメラマンとして・・・。

NYで毎日のようにセントラルパークをジョギングし、すっかり走るという事が毎日に日課になっていた私。
そんな中、マラソンをこよなく愛する人たちと話す機会も増え、そこからまた交流が広がった。

今回の参加のきっかけは、実は日本にいながらNYの友人に頼まれたボランティアだった。

「両足義足の僕の友人が東京マラソンに挑戦する。カメラマンを探しているが、人が足りないんだ。Seiko、手伝ってくれないか?」

これがNYの都市の離れた大切な友人から届いたメールだった。
このメールがきっかけで、私は今年、第一回目の東京マラソンでとても素晴らしい経験をしたのだ。

両足義足の島袋さんのビデオカメラマンとして当日は朝8:30から皇居前から撮影をスタート。
冷たい雨の中、とにかく島袋さんを見落とさないか、この3万人のランナーの中見分けられるか、緊張しながら2時間待った。ひたすら待った。
雨が手に当たり、ボタンを押す手もかじかんでくる。
スタートしてから10分ほどで最初のランナーが前を駆け抜ける。そしてその後、ダンゴ状態の市民ランナーが走り抜けていった。
あまりの人数に目が回りそうな状態。
10:30ごろだっただろうか、島袋さんが来た!
雨に打たれながら、でもとても元気そうに、前を向いてしっかり走っている。
必死でカメラを構える。通り過ぎる。小さくなる・・・。
あっという間の出来事・・・。

その後先回りして8ポイントで撮影をしていった。

島袋さんは、明治座を過ぎた東日本橋辺りから、歩道を走ることを余儀なくされた。各関門で解除をする時間が決められているためだ。
でも決して彼は諦めない。
そして島袋さんを囲うように、サポートするボランティアの面々も一緒に走る。
市立船橋の学生たちが「ファイト!ファイト!」と大きな掛け声をかけながら、東京の街を一歩一歩踏みしめていく。
その集団はドンドン大きくなり、難関の橋の上では大人数となって島袋さんを囲んでいた。
雨も上がり、背中に夕日を浴びながら走る島袋さんは、各場所で迎えるたびに大きくなっていくようだった。

さぞかし激痛に見舞われていたことだと思う。
さぞかし辛かっただろう。
でも・・・さぞかし、嬉しく幸せな瞬間がたくさんあっただろう・・・。

7時間50分。

正式タイムは出ていない。しかし、誰もいないゴールのアーチを島袋さんは自分の足でくぐった。
集まったボランティアの面々は60人近かったという。
私は一人で孤独にビデオを撮っている気持ちでいた。しかしゴールに近づくにつれ、同じ気持ちで島袋さんを待つメンバーが増えてくる。
それぞれが、表には出ていないが彼を応援していた面々。

ゴールをくぐった後の島袋さんの満面の優しい笑顔。
私は決して忘れないだろう・・・。

レース後、
アメリカから参加した大好きな友人が完走おめでとうパーティーをしたので参加した。
そこには、初めてフルマラソンを走った女性もいた。
彼女が言った。
「途中、本当に苦しかったけど・・・。でも折り返して走っていると両足義足の人がいて・・・。
私も頑張ろうって本当に思った」

島袋さんの信条。
「夢を諦めない」

自分の足と姿でそれを語る島袋さんの姿は勇気と感動を与え続けるにちがいない。

参加できてよかった。ありがとう。

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