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September 2002

9/29

うちの電話機だんだんおかしくなってきている。
そろそろ寿命かもしれない。

留守電の応答メッセージを録音するのに昔は意味もなく凝ってみていた。
特に学生のころは友達にも手伝ってもらい・・・

「はっはっはっは!聖子は私が預かる!返して欲しければメッセージを吹き込め!こちらから連絡する!はっはっはっは!」
「キャーーーーー」
ピー。

おいおい・・・今、考えると恥ずかしくて・・・。

あと気に入っていたのが音楽入りのメッセージ。
自分の好きな曲をBGMにして応答メッセージを録音する。
一番長く我が家に君臨したのはビリー・ジョエルの「ピアノマン」の前奏。
いや~、使用していた期間も長かったけど、応答メッセージ自体長かった!
延々、ハーモニカの前奏を聴かされて、やっと私の声で応答メッセージ。
これはかけてきた人にとっては苦痛以外なにものでもなかったろう・・・。
ごめんなさい。

そんな私なので、新しくメッセージを吹き込むときは、頭の中で考えている時間も長い。

ところが!それで大失敗を!!!

まだ研究生だったころ新宿のラテンライブレストランでフロントのバイトをしていた。
キャッシャーと予約受付なので開店してまもなくは、帰るお客さんもいなくてかなりヒマ!
そこで、私はぼーっと次の留守電の応答メッセージを考えていた。

すると店の電話が鳴った。
反射的にとった私は・・・
「はい、田野です。ただいま留守にして・・・・」

この辺で気づいた!
電話の向こうで予約のためにかけてきたお客さんが「アレ?アレ?」といっているのが聞こえる。
もうあとに引けなくなった私は、顔を真っ赤にしながら続けるしかない。
「・・・います。用件をメッセージを吹き込んでください。・・・。」

さて!
この後どうしよう・・・。
一瞬躊躇はしたが、・・・・がんばった!
か細い声で「ピー・・・・・」、そしてすかさずガチャッと電話を切った。

あ~、恥ずかしかった!
周りに誰もいなかったのが幸いだが、でも、とてつもなく恥ずかしかった。
すぐに同じお客さんから電話があったが、一呼吸置いて、一生懸命声を変えて電話に出たのを今でも覚えている。

作り話に聞こえるかもしれないが、ホントにホントの話・・・。

大人になってしまったのだろうか?
今、うちの留守電は、面白くもない機械音。
新しい電話を買ったらどんな応答メッセージにしようかしら?
久しぶりに頭の中でグルグル考えてみるのも楽しいかもしれない。

 

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9/21

このごろ車道の大きな交差点に自転車専用の道路があちこちに見られる。
都内をチャリで移動することが多い私にとっては、本当に嬉しいことだ。

でも、今までこの「自転車専用道路」がどこに存在したていたかというと、よく見かけたのは歩道者専用の交差点の脇におまけのようにあるだけ!
しかも、自転車専用というにもかかわらず、平気で歩行者が通る通る!!

私が免許を取ったのは4年前。
撮影でどうしても車を運転せざるを得ず、舞台と舞台の狭間で泣きそうになりながら教習所に通った。
なんと、23日で受からないともう時間がない!という中での教習所通い。
タイムリミットがあるから、全て一発合格しなければならない中、学科も頭に詰めまくった。
・・・でも、元来が怠け者の性格の私は、結局学科の本を開いたのは、試験の2日前だったけど・・・。

そうやって頭に詰めた学科の中に「自転車専用道路」のことが載っていたように記憶する。
そのときも「自転車専用道路ってみたことない!どこにあるんだ!?何の意味があるんだ???」と謎がいっぱい。
こんな存在もしない道路のことを頭に入れなくてはならないのかと思うと、正直むかついた!!!

でも、教科書に載っていたことが、今は実際大きな交差点に白線でべったりと描かれている。
これが本当に便利!
東京は大きな交差点では歩道橋があり、自転車はかなり迂回をするか、または死を覚悟で(笑)車の渦に飛び込んでいくか!
私は、命知らずで、車道を我が物顔で走っていたけど・・・周りの自動車は、怖かったろうな~。
頭に入っていた文字だけの存在がこうやってどんどん現実化していくのは、ステキなこと。

余談だが、それ以来ペーパードライバーの私だが、元旦の家族での初詣の際は、両親が嫌がる私に必ず運転をさせる。
私以上に命知らずの家族・・・。
そしてそのとき、運転する立場になるといつも思う。
「自転車怖いよ!!!どいて!!!」
・・・人間って、本当に勝手なものだ・・・。

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9/11

今日仕事を終え、新幹線で東京に戻る途中、若い男の子の声でこんな会話が聞こえた。
「俺さ、やっぱ目の前にばあさんとかいると席変わりたくても、恥ずかしくて声かけらんないな。断られそう。」

確かに席を譲るのって勇気がいる!
私はそれを聞きながら思い出してしまったことがある。

私も人に席を譲るのが怖くなっていた時期があった。
といっても、それは私のせいなんだけど・・・。

電車に座っていた私の目の前に、若い女性が一人立った。
彼女はたっぷりゆとりのあるワンピースを着ていて、その下からお腹がプックリとせり出ていた。
「妊婦さんだ!」
そう確信した私は、その女性と目が合ったので笑顔で「どうぞ」と声をかけ立ち上がりかけた。
その女性は「え?」と聞き返した。
私はますます、「この~、幸せ真っ只中のくせに~」という思いでニヤニヤしながら、自分のお腹をポンポンと叩いて「でしょ?」と小さい声で言った。
すると、その女性、かなりムッとした顔でこういった。
「いいえ、違います!」

その瞬間、めちゃくちゃ恥ずかしくて、いたたまれない気持ちになり、私は「スミマセン・・・・・・」と小声で言いすぐ席を立った。

でも、考えたら、その女性の方が、恥ずかしくていたたまれなかったろうな・・・。
おそらく私のニヤニヤ顔が、怒りを助長させたことだろう。
あのときのお姉さん、ごめんなさい・・・。

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9/1

先日、あるインタビューで「今までで一番運がよかったと感じたことは何ですか?」と聞かれた。

舞台が全くなかった4年間。
これこそが私の運を決めた気がする。

私の同期は全員が研究2年生のときに初舞台を踏み、その後も旅公演に出たり、なんども舞台に出たりしていた。
私はというと、研究生の3年間は全く役につかなかったのだ。
査定審査が毎年行われて、3月には昇格するか退団か言い渡されるため、キャスティングされない私はいつもドキドキしてその査定を迎えていたように記憶する。

研究3年生のとき、ロングランを続けていた芝居で一人役者が降りてしまい、群集の役があいてしまった。
当時、その公演についていた同期の男の子が「聖子、今立候補すれば、その役につくことできるかもよ。」と教えてくれた。
私は、ちょっと躊躇し、1週間悩んだ・・・。
自分が誰からもキャスティングされないまま、初舞台を踏んでいいのだろうか・・・。
そうやって悩んでいる間に、他の研究生が立候補し、その舞台に立つ事はなかったのだが・・・このあと、この悩んだ1週間が私のデビューを決めることを当時まだ知らなかった。

舞台がなかった4年間、私は映像を中心に仕事をしていた。
別にとくに映像向きだったとは思わないが、おそらく若手の女優たちが地方公演の舞台などで東京にいなかったためであろう。
TVや映画の現場に一人で行かされ、何も知らない撮影所の中で鍛えられた。

4年目を迎えた準劇団員のとき、千田是也氏演出「カラマーゾフの兄弟」にキャスティングされた。
もちろん初舞台の私は、台詞の数行の少女の役。
ところが、メインキャストが女優が都合により降板、急遽その役のオーディションが行われた。
1年前、同期に誘われた作品についていた役者を除いて全員の女優が呼ばれた。
・・・その役者たちは舞台が重なっていて、オーディションを受けることすら出来なかったのだ。
1年前、躊躇したあの時間が私を「カラマーゾフの兄弟」のメインキャストに巡り合わせてくれたのだった。

あの4年間、舞台につくことはなかったけど、多くのことを吸収し、たくさんの人に助けてもらった。
自分一人ではないという事も分かったし、自分の中にある人をうらやむ嫉妬心や挫折感など醜い部分も確認できた・・・。
あの4年間がなかったら、今の私はいない。
芝居を続けていなかったかもしれない。
そのくらい大きな4年間だった。
“あの時期、何も舞台につかなくって、運がよかった!”

他劇団になるが、故杉村春子さんがおっしゃった言葉がある。
「私は若いとき仕事がなく、時間だけがあった。その時間が今の私を作っている。」
舞台につかず落ち込んでいたとき、同期の女優が私に教えてくれた言葉だ。
「聖子を見ていると、その言葉がよく分かる。」
そういってくれた彼女の言葉こそが私の支えとなっていたことも事実。
今・・・そう、時間がいっぱいある今こそが、勝負なんだ・・・と。

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