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July 2002

7/29

私はタバコは吸ったことがない。
だから禁煙の辛さは分からない。
タバコを吸っている方で、禁煙をしてみようと思った方はいるだろうか?
そしてそれは成功しただろうか???

私の知り合いのオッチャンは1晩で禁煙を成功させた。
超ヘビースモーカー、1日4箱は吸っていたという。

さて、どうやって禁煙したか・・・。
聞いてみると面白い・・・でも、東京人には不可能かも・・・。

そのオッチャンは大阪人。
四角い顔にギョロ目、そして超几帳面な典型的A型人間。
ところが、やることがかなり大胆!

禁煙を決めた日から、道行く人全員に「わて、禁煙してまんねん。」と言ってまわったという。
「冗談でしょう?」と笑って聞いたところ、大真面目に「ほんまやで~」と言われた。
電車に乗れば、前に座っている人、横で立ちながら新聞読んでいる人、周りの人全員に・・・。
売店で雑誌を買えばそこのおばちゃんに。
食事に入れば隣で食べている人に・・・。
とにかく全員に!

最初は「気味悪がられた」らしい。
そりゃそうだろう。
いくら大阪といえども、電車の中で隣に立ってる人にいきなりそんなこと言われても、答えようがないだろう。
しかしそのうちに、電車の中でも「まだ禁煙続いてまっか?」と聞かれだしたそうだ。
そして、駅など歩いていると、全然知らない人から声をかけられ、励まされたと言う。

人間、本当に真剣になるなら、そこまでやらなければならない。
そこまで徹底したら、不可能なことはないのだ。
「本気ならアホにならなアカンで~」とオッチャンは言った。
しかもそのオッチャンには、沢山の応援団まで出来てしまった。

はたして、人間関係が希薄な東京でそれができるだろうか?
でも、先日のワールドカップで知らないもの同士がハイタッチしている姿を見ると、東京だって不可能ではあるまい。
・・・と、すると最初の1歩の勇気か・・・・。
う~ん、本気ならアホになるのみ。

なんでも、真剣に向き合うにはアホになる勇気が必要なのかもしれない。

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7/24

水は答えを知っている。

水は美しい言葉や音楽を聴くと綺麗な結晶を作るそうだ。
逆に汚い言葉では結晶はぐちゃぐちゃに壊れてしまう。

なるほど、だから花に話しかければ美しい花を咲かせ、果実に優しく声かければ甘い実がなる。
理にかなってるというものだ。
ある芝居の稽古の時、一人の女優が言った。
「人間の体内もほとんどが水分で出来ている。だから人間も褒められたら体中が喜ぶし、怒鳴られればよどんでくるんだよ。」

でもまてよ。
じゃぁ、笑顔の優しい言葉で「ばかやろう。」といった場合はどうなるのか?
心から「かわいいね」と言う気持ちで「ばかやろう」と言ったら、水はきっと美しい結晶を作るに違いない。
だって、「ありがとう」でも「サンキュー」でも「ダンケ」でも「メルシー」でも「シェーシェ」でもきっと綺麗な結晶になるはずだから、言葉を理解してるとは思いがたい。
言葉から発せられる何か波動が水に違った形の結晶を作らせているのだろう。

そう思った。

ところが!
サンマーク出版から出ている「水は答えを知っている」という本がある。
今回の旅でその存在を知った。
いろいろな水の結晶が載っているのだが・・・・。
早速その本を読んでみると、驚愕の事実が!!!!
なんとまぁ、私が思っていた以上に奥が深い。

その本によれば、なんと言葉だけではないらしい。
音楽は・・・まぁ、理解できる。
その他、文字でも風景写真でも水は反応するそうだ。
本当に!?と思える結晶が載っている。

音楽も千差万別。
例えば、チャイコフスキーは虹色の結晶が出来る。
モーツァルトは綺麗な結晶。
プレスリーの「ハートブレイクホテル」はハートが2つに割れたような結晶。
ヘビメタに関しては・・・どろどろに溶けたような結晶。

またいろいろな言語で言葉を投げかけたときの結晶の違い。

ま、ココまではまだいい、よく分かる。
問題は次からだ。

紙にさまざまな言葉を書く。
それを水に見せる。
すると、それで水は反応し結晶を作る。
つまり「きれい」という文字と「きたない」という文字では結晶が全く違うのだ。
「きれい」と「ビューティフル」は同じ。
水が言葉を理解するのか、はたまた書いた人の書いたときの気持ちを水が読み取るのか?

そして極めつけ!
電磁波の近くにおいてある水は綺麗な結晶は出来ない、それは分かる。
しかし、同じ電磁波を発するTVでも、「水にいいTV番組を見せた」という結晶があった。
いいTV番組とは・・・???誰が決めたのだろうか?
どういう番組なのか、そっちにまず興味がいったが、それはさておき、結晶を見ると、うわ!美しい結晶。
水もTVを見ているということか・・・。
でも、水に具体的にどんなTV番組を見せればいいのだろうか?
そこまでは残念ながら書いていなかった。

興味がある方は、ぜひこの本をご購入あれ。

私が一番心に残っているのは、「無視をした」という水の結晶。
寂しげに形を作る元気もないような結晶になっていた。
命あるものに限らず、無視をして放っておかれるのが一番悲しいのだ。。

古来の人はそのことをよく知っていたと思う。
私は無宗教だが、どちらかと言えば教祖がいる宗教よりも、自然界全てに神が宿るという考えだ。
だからギリシャ神話など幼いころから大好きだった。
太陽には太陽の神が、木には木の神が、酒の神、知の神、美の神、月の神、戦いの神・・・・。
日本の神話も(もちろん天皇神話ではあるが)、それぞれに神様がいて興味深い。
そうやって、全てのものに感謝していたのだろう。

そういえば、私は昔から何にもで名前を付ける癖がある。
うちの観葉植物は「ハルオさん」だし、自転車は「ひまわり号」、旅中手放せない吸入器は「マルちゃん」。
しかし、この本を読んで、話しかける熱がもっと強くなってしまった。
水に対してだけではなく、椅子にも、電柱にも「ありがとう」「かわいい」。
このままではちょっと変な人になってしまう・・・。
でも案外、電車の中でブツブツ言ってる人は、全てのものに感謝の意を表している人かもしれない。

みなさんも、ちょっと周りにあるものに話しかけてみては?
すれば、結晶が綺麗になるだけではなく、なんとなく心も明るくなる。
最初は、ちょっと照れくさいけどね。

 

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7/17

旅先でとんでもない買い物をしてしまう。
みなさんも覚えがないだろうか?
必要ないキーホルダーやペナントを買ってしまうのも同じ心境だと思う。

それが1ヶ月の長期間になると、帰ってくるころには笑える状況になっている。

私たち役者には私物を入れておくジュラケースがある。
そうすると舞台の道具と一緒に運んでくれる。
自分で持つべきものはその日に着替えるものや使うもののみになる・・・といっても結構な荷物になるのだが。
つまり大きなものを買っても、その私物ジュラに入れておけばそれほど邪魔にはならない。
だから逆に安心して買い物をしてしまう。

以前買ったものの中には、メルヘンチックな麦藁帽があった。
買った時はうれしくて、かぶっていたが、実際東京に帰ると、どこに行くときかぶればいいのか・・・しかもそんな帽子に合う服はない。
結局お蔵入り・・・・。
またある日入った陶磁器の個展で真っ白な花瓶が売っていた。
とても高額。
私は欲しくて欲しくてたまらなかったが、同期の女優に「後で後悔するから!」と手をつかまれ、買わせてもらえなかった。

今回最初の買い物は、和歌山で買った日傘。
日傘はすぐ壊れるので、いつもは安物しか使っていなかったけど、なんとなく8000円の日傘を買ってしまった。
これも、旅先だからこそ。
またすぐ壊して後悔するのかしら????

でも、ほんのひと時でも、旅先ならではの買い物は楽しい。
東京に帰り忘れたころに出てきて、思い出に浸ることもある。

さて、今日はだんじり祭りで有名な岸和田に来ている。
・・・・街中を散策していたら、また見つけてしまったぁ!
「エアークッション入り足袋」!!!!
ううう、買い物心を刺激する。
買うべきか買わざるべきか・・・・それが問題だわ。

 

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7/12

旅公演の生活にはあるリズムがある。
ホテル暮らしにかかせない日課・・・っていってもあたしたちのお仕事ではないけど・・・。
それは、部屋のお掃除!

朝食が終わり、大体10:00過ぎから部屋の外がガタガタ騒がしくなる。
落ち着かない。
ギリギリまで抵抗しているが、無言の「早く部屋を出ろ~。」という重圧に、小心者の私は耐え切れず、そそくさと部屋を出る。
そのまま楽屋入りの準備をして、午後まで外で遊ぶもよし、時間を見計らって帰ってくるもよし。

今は和歌山に来ている。

前回来たのは6年前の「村尾伊平治伝」の芝居。
そのときは2週間近く和歌山に宿泊していた。
とある朝10:00、毎朝恒例の’ガタガタ’が響いてくる。
ボーっとしたまま、部屋を出て、さてどこに行こうか迷った挙句、近くにある和歌山城にブラブラ行ってみた。
天守閣に登り、心地よい秋風を受けながら、小1時間ほど城下町を見下ろした。
大体11:00ごろだったと思う、天守閣を後にしてまた歩き出したところ、一人のおじさんが木に手をかざしていた。
「何をしてるんですか~?」とおじさん聞いてみた。
するとおじさんの手の先には小さなリスが!
おじさんの手から直接ひまわりの種をおいしそうに食べていた。
「毎日ココに来てるんだ。ホラ、お姉ちゃんも種あげてごらん」
おじさんから種をもらい、リスに差し出す。
最初は見慣れない私のことを警戒していたリスたちもおじさんが近くにいるせいか、段々近づいてきて、ついには私の手から種を食べてくれた。

その後、夜公演の日は、掃除タイムになると和歌山城へ出かけ、おじさんと一緒にリスに種をあげていた。

さて、あれから6年、あのおじさんは変わらず和歌山城に通っているだろうか?
明日、行ってみよう。
また一緒に種をあげられることを楽しみにしている。

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7/6

私の実家にはかわいい家族がたくさんいる。
歴代の家族たちを並べると、本当に大人数。
しかもそのほとんどが迷い猫や迷い犬。
私たちが・・・・拉致してきた・・・。

猫を初めて飼ったのは小学校3年生のとき。
母親が大の猫好きだったが、私が猫アレルギーで、猫の近くによるだけで目の白目と黒目が逆転してしまうほど。
猫を飼うことは無理だと思っていた。
しかしそれまでも、捨て猫がいたら、一度はうちにつれてきて、牛乳を与えたりはしていた。

ある日、私は真っ黒な子猫とであった。
目が大きく、ギャーギャー鳴くやせっぽっちの子猫。
明らかに野良猫のその子は、知らないお姉さんの腕に抱かれていた。
私はお姉さんに向かい「ちょっと抱かせて・・・」と頼み込みこんだ。
そしてその子が私の腕におさまったとき・・・もう離すことができなくなっていた。
「あなたの猫ちゃん?」と聞かれても、曖昧に笑いその子の頭をながらうちまで連れて帰り、うちの家族に・・・無理矢理してしまった・・・。
「絶対目が痒くってもかいたらダメ!目がはれたらクロちゃんは捨てられる!」
その一心で、アレルギーまで克服した私。
でも、我が子のアレルギーを知りながら、猫を飼うことを許したうちの親も、相当の猫好きだったと思う・・・。

その後も、全てうちの子は迷い子ばかり。

うちのレオ・・・犬のときはもっとエゲツナイやり方で拉致。
ある日、父が「このごろ犬がいるね。おとなしそうな。」と言った。
その数日後、母が「いたいた!かわいいよ、あのワンちゃん。ちょっと会いに行こうか?」
私は母と一緒に実家のマンションの下まで「ワンちゃ~~~ん!!!ワンちゃ~~~~ん!!!!」と叫んで探していた。
するとマンションの10Fから男の人が犬を連れて降りてきた。
「お宅のワンちゃんでしたか、あまりにもイイコなのでうちにつれて帰ってしまいましたよ、すみませんー。」と。
私と母は、ニコニコ笑い否定もせず、その犬を連れて帰った・・・・。

まさかうちで犬を飼うことになるとは・・・・。
2匹の猫たちに自分のご飯を食べられても、ちゃんと「待て」をしていたレオは、そのまま今も大切な家族の一員である。

そして、今、一番の新参者は3ヶ月前に我が家きたギャオ。
人懐っこく、ご機嫌で人間にくっついてまわっている・・・。
トムという名前をもらったが、あまりにも泣き声がだみ声だったため、いつの間にかギャオちゃんとなった。
うちの家族の中心になているらしい。

クロ、ロク・・・など歴代の猫たちが大往生し、今は犬のレオと猫のロビン、ギャオ・・・。
この子たち、ご近所さんから「田野さんちに拾われて幸せね」と言われる。
・・・でも思う。
私たちのほうがこんなイイコたちをうちにつれて帰れて、得した感いっぱいだ。

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